格闘家のYoutube配信が活気を帯びている今、昔のK-1やPRIDEで活躍した選手も次々にチャンネルを開設しています。

今回は、日本の格闘技界で世界チャンピオンになった魔裟斗と、その一番のライバルと言われていた小比類巻、二人の軌跡を動画で解説します。

 

目次

小比類巻と魔裟斗はどれだけすごいのか

今なお日本のK-1ファイターで3名挙げるとしたら、魔裟斗、武蔵、小比類巻ではないでしょうか。
この3人は日本のK-1ファイターの中でも突出して強かったですね。(武蔵はヘビー級なので別階級)

魔裟斗の経歴

*もちろん右が魔裟斗です。

【本名】小林 雅人
【生年月日】1979年3月10日
【リングネーム】本名→藤 山海山(ふじ さんかいざん)→魔裟斗
【K-1戦歴】35勝4敗1分け

 

魔裟斗の凄いのは何と言ってもK-1での戦歴。
K-1を含むキックボクシングの生涯戦績は56勝6敗で、K-1だけでも35勝4敗
勝率9割の日本が誇るファイターでした。

ご存知の通り、2度もK-1で世界チャンピオンになっています。

 

甘いルックスと、ファッションセンスからカリスマ性は抜群で、「反逆のカリスマ」という異名を持っていました。

俳優、香水のプロデュースなど、様々な仕事もしていたのですが、現役中にタレントの矢沢心と結婚して今は3人の子供を育てる父親です。

 

ムサマサという元日本代表のK-1ファイター武蔵とのYoutubeチャンネル→こちら

魔裟斗 個人のYoutubeチャンネル→こちら

 

 

小比類巻の経歴

*もちろん右が小比類巻です。

【本名】小比類巻 貴之
【生年月日】1979年3月10日
【リングネーム】本名→小比類巻 太信(たいしん)→本名
【K-1戦歴】23勝14敗1分け

 

子供の頃、青森の田舎町で米軍の男性から走って逃げて、強くなろうと空手を始めたのが格闘家になったきっかけ。

空手出身者でありながら、ボクシングやテコンドーも極めていて、ミスターストイックの名前の通りの真面目な努力家。
格闘家というよりも武闘家というような感じのファイターですね。

 

キックボクシングを始めてから連戦連勝を重ね、生涯の公式戦の戦歴は40勝20敗と、現役後半に負けが込んでしまい、魔裟斗ほどの勝率は残せませんでした。

それでもK-1では日本チャンピオンに3度も輝き(もちろん史上最多)、マイク・ザンビディスやアルバート・クラウスなどの世界レベルの選手、何人にも勝利しています。
さらに、ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級ではチャンピオンになっており、日本人では魔裟斗の次に強い選手として認知されていました。

 

現在は恵比寿でジムのトレーナー(会長でもある)として活動中。指導はかなり評判のようです。
あと、昔は魔裟斗の人気に対して、コヒはヒール役のような感じでしたが、昔から性格が凄くいいという噂もありました。

 

小比類巻のYoutubeチャンネル→こちら

 

 

魔裟斗と小比類巻の確執とは?なぜ因縁の対決と呼ばれたの?

実は魔裟斗はキックボクシングを始めてからプロの公式戦で20戦以上の日本人ファイターと戦っていますが、1度しか日本人相手には負けたことはありません。

その1度というのが小比類巻なんです。

 

魔裟斗はもともとボクサーでした。

それがキックボクシングに転身して、プロとして公式戦2戦目で小比類巻と対戦することになりました。(ちなみに小比類巻もキックボクシングの公式戦は2戦目)

その試合で小比類巻が完勝します。

 

魔裟斗は、小比類巻に完敗を認め、数カ月の間、格闘技から身を引くこととなりました。

 

しかし、敗戦から10か月後に再び試合に出ると、連戦連勝。
結局引退まで日本人に負けることはなかったのですが、メディアが小比類巻を「唯一、魔裟斗を沈めた日本人」として煽っていたこともあり、お互いは凄く意識してしまうようになったそうです。

 

同じ試合会場でも端と端にいるようになり、目を合わせず口もきいたことがなかった2人。

確執はどんどん深まり、遂に現役を退いてからもお互いを嫌い合っていたそうです。

 

ちなみに、小比類巻は魔裟斗をK.O勝利していましたが、魔裟斗は小比類巻に判定勝利(2度)しかしていません。
それでも、小比類巻は魔裟斗の方が強かったと完敗を認めています。

 

 

魔裟斗VS小比類巻の試合動画まとめ

お待たせいたしました。

犬猿の仲と言われた魔裟斗と小比類巻の試合の動画をまとめましたのでご覧ください。

 

1997年5月30日 キックボクシング「KICK OVERーⅥ」

この試合が、二人が初めて対峙した試合です。

非常に貴重な映像ですが、この時、リング上の2人が世界王者と日本王者になろうとは誰も思わなかったでしょう。

魔裟斗はボクシング上がりということもあり、パンチが主体の攻撃。
一方K.O勝利した小比類巻は、空手出身ということもあり、蹴りが主体の攻撃になっています。

また、身長差を活かして首相撲からの膝の連打。小比類巻もよれよれになってなんとか勝利しているので面白い試合ですね。

 

 

2002年2月11日 K-1 ワールドMAX 日本代表決定戦の決勝

1回目の対戦から5年近くの月日が経った試合。
魔裟斗も小比類巻も10代後半から20代前半の青春時代を全てトレーニングに費やしていたそうです。

こうやって見ると、たしかに判定通り魔裟斗が勝っている内容だと思いますが、ほぼ互角。

1度目の対戦と違うのは、魔裟斗が蹴りを使ってパンチと上手く合わせて攻撃しているところですね。
小比類巻は1回目と同様に膝蹴りを狙っていたそうなのですが、対策をとられている感じがします。

ちなみに、この試合の後の石井館長にマイクを渡された小比類巻は「次は(魔裟斗を)ぶっころします」という名言を残しています。

 

 

2006年6月30日 K-1 ワールドMAX 世界一決定トーナメント準々決勝

2回目の対戦からさらに4年後。
今度は国内大会ではなく、世界大会のトーナメントで対峙した二人。

ぶっころす予定だった小比類巻ですが、途中までは調子が良かったものの、最終的には大差があるように見えますね。

この頃は長年メディアが「因縁のふたり」「犬猿の仲」などと表現していたこともあって、二人はものすごく憎しみ合っていた仲だったそうです。

しかし、試合後に魔裟斗が「もうお互いを意識するのをやめようよ」と言ったこともあり、小比類巻もその言葉が有り難かったそう。

 

このトーナメントでは映像でも少しわかると思いますが、魔裟斗の鼻は折れている状態で、小比類巻に勝利した後は準決勝でアンディ・サワーに敗北してしまいました。

一方、小比類巻はこの翌年のK-1 ワールドMAX日本代表決定戦で1回戦負けをしてしまいますが、2009年では日本一に輝いています。

 

 

現在の魔裟斗と小比類巻

2021年6月に魔裟斗と小比類巻はそれぞれのYoutubeチャンネルで出演しました。

これは、本当に20年以上前からの2人の仲の悪さを知っているファンにとっては、凄いこと。菅義偉と菅直人が飲みに行くようなもの。そのくらい凄いことだったんです。

 

小比類巻側のチャンネルでの対談動画↓

 

一方、魔裟斗側は、武蔵と共同のチャンネル「ムサマサ」で対談を配信↓

動画で対談していたことをまとめるとこんな感じです。

・魔裟斗と小比類巻は本当に仲が悪かった。口も利かなかった

・小比類巻は武蔵とは以前から仲が良く、一緒に練習していた

・魔裟斗が六本木で小比類巻を見たと番組で言ったことがあり、それに対して小比類巻は本当に怒っていた

・魔裟斗は小比類巻のお母さんのことまで気にかけており、小比類巻は今は親友と思えるようになった

動画で小比類巻が魔裟斗の目をあまり見ないようにも映っていますが、「ぶっころします」とか発言したり、怒っていたりしたことを申し訳なく思っていたんでしょうね。

魔裟斗もまた、昔のことを申し訳なく思っていたことでしょうが、小比類巻の母親の事を気にかけるなど、やさしい一面も観てとれます。

また、小比類巻の現況を結構知っていたり、「ローが今までで一番痛いのは俺の名前挙げてたでしょ?」と言っていたりするのを観ると、かなりお互いに意識していた事が分かります。

 

20年以上も前から続くお互いの確執があったので、話も弾みますよね。
魔裟斗はこの後に撮影されたと思われる朝倉未来との対談の動画で「Youtubeやって良かったと思いますか?」という朝倉の質問に対して「うん、この前もコヒと話が出来たし」という返事をしていました。

相当、わだかまりを払しょくしたかったのでしょう。

 

今後も、魔裟斗と小比類巻の絡みが見れるかもしれませんので、小比類巻チャンネル、魔裟斗チャンネル、ムサマサは絶対にチャンネル登録をお勧めです!

ムサマサだけじゃなくてコヒマサ(マサコヒでもOK)のチャンネル開設も期待してます。

人気記事
おすすめの記事